能登の祭りの写真を撮り続ける理由
「継続は力なり」。
一つのテーマを「撮り続ける」こと。きっと心から好きでないと、時に『継続』を苦痛に感じることがあるかもしれません。そういう意味では、25歳のときから現在まで祭りを撮り続けることができている私は、祭りを撮ることが心から好きなんだと思います。
私にとって、はじめて見た能登の祭りがあまりにも衝撃的でした。
撮り始めた頃は、その感動をより多くの人に知ってもらいたいという思いが強かったです。今では人生のテーマのような”ライフワーク”として、撮り続けることができています。普段は人間の奥底に眠っているような感情や力が溢れ出るような祭りを見たとき、私の心は大きく動くのです。
料理の世界に「イタリアン」や「フレンチ」、「和食」などがあるように、写真の世界にも「動物」「自然」「ポートレート」などテーマ・専門分野があります。祭りは特殊の分野で、いくつかのテーマが融合していて(フォトグラファーの作風にもよる)、「風景」であったり「ポートレート」、「スナップ」などの要素があります。被写体がいくつもあることや、祭りといっても様々な種類がある(祭礼や儀式的なものなど)ことは、長年追いかけても飽きがない理由かもしれません。
実際のところ、祭りを撮っている最中「しんどい」と思うことは多々あります。知らない土地、知らない人たちに混じって祭りについていくことは、時に怪奇的に見られることもありますし、待ち時間が長く、同じようなことを繰り返していると孤独を感じることもしばしば。待つだけ待って、うまく撮ることができないケースも多いので(←実力不足)、その時はひどく落胆するのです。
そしてなんといっても夏場はタフ。炎天下の下、体調を崩すことはほぼ避けられない状況にあります。
それでも祭りを撮り続けることによって、良かったことがたくさんあります。
1. 伝統文化に触れられること
祭りを通じて、その土地の文化や人を知ることができるのは人生において貴重な経験。必然的にWEBや本などで情報収集するので、学びがあります。
2. 交友関係が広がること
毎年撮りに行っていると地元の方に顔を覚えていただくこともあり、交友関係が広がることもあります。またフォトグラファー同士でも繋がりができて、時に友人に会いに行くために祭りへ行っているような感覚にもなります。
3. 祭り関係者に喜んでいただけること
撮影した写真をSNSなどでアップすると、毎回のように祭り関係者などからDMが届き、喜んでいただけます。
4. 雑誌や観光ポスターなどに採用されること
それほど大きくない祭りでは、写真を撮っている人自体が少ないです(広報や新聞記者もいない場合があります)。告知・発信するための素材が少ない場合もあり、積極的に撮影した写真を採用していただくことがあります。
どれも継続することで得られることなので、撮り続けることの価値は非常に大きいと思っています。
インターネット全盛の時代、SNSなどを通じて新しいフォトグラファーが次々と出てきています。以前に増して、情報を簡単に入手することができるため、技術・センス・意欲があれば、人並みに評価を得られる写真が撮れてしまう時代です。しかし目の肥えた人であれば、その人がどのようなフォトグラファーか見極めます。『カメラを始めた頃』はそれがコピーでも良いと思いますが、もっと深い部分。あとは本人が何に満足するかが重要だと思っています。
写真は、自分が一体何者か、ということを代弁してくれる、とてもわかりやすいツール。吉岡栄一というフォトグラファー・写真家を、祭り写真を通じて知っていただく機会が増えました。私は祭りの写真を通じて、自身の「ブランディング」もできればと思っています。
「不確かなこと」が多い祭り写真は撮るのが難しいです。自分自身に求めているのは「たまたま上手く撮れた一枚」ではなく、祭りのストーリーも感じられる写真。そのためには、一歩も二歩も先をいくような視点が必要だし、表現力も多彩でなければいけないと思っています。
まだまだ「これだ!」って写真を撮れた回数は多くはないですが、私にはまだまだ成長意欲がいます。その意欲こそが伸び代(ノビシロ)だと思って、次の祭りの撮影機会に臨みたいと思っております。
「継続は力なり」です。